実家から自宅へ帰ってきたわけだ。
今のところ毎日更新2011。
● 自宅へ帰ると
正月早々、
ゴミ捨て場に何やら不穏な張り紙が。
ああ、4ダメね。
そこまで警戒しなくてもなあ。
● あれほど
嫌だった実家だったが、そこへ僕の息子がいる風景というのは、
また少し違ってみえたような気もし。
それはそうと
● 初夢
<お嫁の場合>
亡くなった山梨の婆ちゃんと、今月11ヶ月になったばかりの息子(話せない)が、陽光の中語り合っている夢。
<僕の場合>
一筆書きが出来るか出来ないかを延々授業している夢。
<息子の場合>
一晩で10回ほど寝返りを打ち、朝起きたら2mほど移動。
● 年賀状
小学校からの友人と、けっこう縁がある。
年賀状をもらうと、時代で、
● デジカメ画像
が多い。
小学校からの付き合いで、あの頃、というのがあるとすればそれは、
水鉄砲と、夏の日、自転車で川べりをどこまでも走り抜けた
白いシャツの友人は、
年賀状に、そのまんまの白いランニングシャツで、写り込んでいる。
僕の友人の息子達は、しかしよく父親に似ていた。
● みんな
友人らは、あの頃の小学生になって、年賀状に写って、もう、どうしようもないぐらいの
いい顔でカメラに写っている。
● 僕はといえばその頃
夜中、酩酊しては暴れて、家人を殴打する酒乱の父親が怖くて嫌いで
何とかその現実を、理由付けして
受け入れようって必死で。
お袋と夜逃げした先の、みすぼらしいビジネスホテルで
中学校の学年末のテスト勉強したような記憶とか。
お袋と夜逃げした先の家の、従兄の兄ちゃんに、ひと夏中、夏休み中
甲西町の団地で、遊んでもらったり、
母親の旧姓で、転校先の小学校で自己紹介するシミュレーションをしたり。
思えば
● あれほど
嫌だった実家だったが、そこへ僕の、息子、がいる風景というのは、
また少し違ってみえたような気もし。
今日、海老名へ戻って年賀状を拝見し。
● 同級生の子供たちは
もう、小学校へ上がるぐらいか。
みんな、
あの日の友人と同じ顔をして、こちらを向いて目を線のようにして
真っ白い歯を見せて笑っている。
やがて息子もそう思うだろうか。そして
● 最近はもう
大人になったから、正月って普通だなあと思ってしばらくして
それは、僕の中のノスタルジーである。
● あの、いつの間にか鴨居の
低くなった実家に、
這って歩く、我が息子を見るにつけ
それは
● 失われた日の
自分の視線、視点のようで。
そこに、なお日の照りつける静かな夏の日の始終を見る。
あの日に、確かに、
友人は僕を誘い、僕は自転車を漕ぎ出していた。
● 小さい頃から
正月というのは、僕にとって特殊な一日だった。
その日に僕の息子を重ね合わせる。