先日、実家のばあちゃんが亡くなった。
享年84歳。
それで20日がお通夜、今日が告別式で
山梨へ帰ってた。
● 盆の入りに
実は帰っていた。
ばあちゃんを見舞うためもあった。
末期がんだったばあちゃんは、もう
年齢からも手術は無理との判断で、
痛みを取る
ということに主眼が置かれていた。
盆の入りに山梨に帰ったときには、
痛み止めのモルヒネの貼り薬で、
意識がほとんどなかった。
● 見舞ったが
病室へ入り、お袋が「ほら、孫が来たよ」と声をかけると
うっすらと目を開き、「○○だよ、分かるけ?!」と言うと
ゆっくりと首を「横」に振った。
7月の頭には、まだ意識もしっかりしており、帰り際に寂しそうな顔で、
もう帰るのか、いつ帰るのか
としきりに聞いた。
その時交わした会話が最後になった。
あれ以来、1か月以上、見舞えなかった。
それで怒ってたのかも知れない。
うつろな目で僕を見、
分からないと、首を横に振った。
● 盆の入りに
見舞ったときは、けっきょくそんな感じで、
ばあちゃんの意識が朦朧としており、ただ、
すっかり細くなってしまったばあちゃんの手を僕が触ると
小さく握り返してくれた。
ばあちゃんの手は柔らかく、暖かかった。
その手と、
朦朧としていく意識とが
何とも言えず切なかった。
● 今回の帰郷
僕が山梨に着いた時にはもう、ばあちゃんは
長年闘病してきた座敷に、
1年半ぶりに畳に布団を敷き、
穏やかな顔で横になっていた。
お線香をあげたあと
おでこに髪が1本2本乱れていたので、
そっとてぐしをあてようとして身体が固まった。
ものすごく冷たいのだ。
綺麗に死に化粧をしてもらっていたせいで
本当に、倒れる前、
ちょっと布団を敷いて休んでいたときのような
錯覚があったが、
あまりに冷たかった。
● 知ってはいたが
おじいちゃんが亡くなった時もそうだった。
だから分かってはいたのだが、
ご遺体はドライアイスで囲わねばならない。
そのせいで、おでこや、頬までも
ここまで冷えてしまうとは。
おばあちゃん寒かろうと思いながら
致し方まったく無く、ただ手を合わせた。
● 翌日
納棺前に、ドライアイスは除かれた。
親戚近親者があつまり、ばあちゃんをお棺に入れるのだ。
その際、説明によると、昔は親族で
ご遺体の身体を拭き清めたのだそうで、
今では簡略化され、和紙でお顔、腕、手、腰、そして足を
そっと撫でるように、拭く真似をするのだそうだ。
ドライアイスが予め除かれ、絹の白い掛け布団をはがされて
おばあちゃんの組まれた手が、
お腹の上にあって、真っ白になっていることに気付いた。
● 手
その時になって、ああそうだと思い返した。
盆の入り、
最後に見舞った日、
病院のベッドで
ばあちゃんが首を横に振るので
せめてもと握った、あの時のばあちゃんの手だ。
柔らかく、暖かだった感覚がよみがえった。
その手が、今、ドライアイスですっかり冷えてしまって
真っ白に、爪の先まで痛々しく、半ば凍りかけていた。
和紙を持ち、喪主である父と、お袋に続き
お顔、腕、と拭き真似をし、
手を、
しかし握ることができなかった。
あの時の感覚が、それを忘れまいとするのでもなく
ただ、握り締めてあげることが今、できなかった。
● ばあちゃんの甥の方が
いる。
物静かな方で、軽々しく喋ったりしない、
色白で細身の、冷静沈着という印象の方だ。
その方が、僕のすぐ後の順番だった。
振り返ると、いつもは感情を全く表に出さないその方がじっと
長い時間、全ての動作を止めたまま、じっと
ばあちゃんの手を握り締めて下さっていた。
冷え固まってしまったばあちゃんの手を
寒かろうと思っていたのは僕だけではなかった。
そして孫の僕ができなかった悔しさと、
その方の優しさや心の中の温かさが有難く、
そこからはもう、
ずっと無意識のうちにこらえていた涙が
止められなくなってしまった。
● 横浜帰還
今回も、お嫁ともども強行軍になってしまった。
お嫁は明日もう早出で5時起きだ。
僕も夏期講習に開けてしまった穴を埋めてくださった先生方からの
引継ぎその他があるので
明日はお嫁に続いて家を出る。
初七日も今日執り行ったのだが、その時
出席下さった全ての方に、お酌をして回ると、
本当の親子のように献身的に看病したお袋をねぎらう声とともに
本当は一番傷ついているのだと
親父を気遣って下さる、親父の古い友人の方もまた多かった。
大変なときに長く居られなかったことが
申し訳なく思われる。
そう言えば式の最中、いつも隣に鼻をすする音が聞こえた。
少し落ち着いたら、お嫁と二人で
旅行にでも誘おうかと話しながら帰ってきた。