行ってきたわけだ。
● 東日本大震災
の後,東北の太平洋側の丘の上で,作家数名とアナウンサーが雨のそぼ降る中,日本人はどこから来たのかというような
話をしている番組をNHKでやってたのを見た。
津波の被害にあった街の遺族の方々が,
たとえば奥さんやお子さんが夕刻,海岸に集まることがあったという。
海のほうから,お父さんが帰ってくる。
幽霊を見た,という話が広がり,そこに気味の悪さとか怖さとかではなく,
津波で亡くなった,お父さんが帰ってくるというのだ。
● その時に
引用されていたのが『遠野物語』。
それまで何かの青春物語か何かかと。
前後して,オカルト板のまとめサイトを読む。
日本の薄ら怖さというか戦慄というか。村落の奥々には色んな話が横たわっている。
● そう言えば
小さいころ祖父母から聞いた話。
田舎は山梨だ。
四方を山に囲まれている。
これは曽祖父の話らしく,
なんでも山を越えて行商か何か出掛けたあと,帰り道に暗くなる時分。
少し先を「えーん,えーん」と泣く女の子がある。
追いかけても追いかけても,ちょうど同じぐらいの距離のまま向こうへ歩いて行く。
おかしいなと思いながら山道をなおも歩いて行くと,
やがて山間から甲府の町の明かりが見えてくる。
ああ町だ,とほっとするとすっと消えてしまうのだという。
狸の仕業だと教わった。
他にも,雨の日の朝に人魂が飛んでいた,あれは燐の仕業らしいぞ,猫が死ぬと燐が出来る,と祖母が言っていたのも思い出す。
こちらのほうが,水気があってすこし気味が悪い。
薄ら明るい朝,田舎の狭いブロック塀が両サイドに続く道で,傘を指していると道の向こうでぼぅと
青白い炎が燃えているというのだ。
昔はこんな話をする大人がいた。
今は曽祖父はもちろん祖母も他界して久しい。
● 寺田寅彦
という人がいる。
wikipediaによると
1903年(明治36年) – 東京帝国大理科大学実験物理学科(首席)卒業とある。
東大の物理学科を卒業して何をしてたかというと
随筆家・俳人でもあったという。
● 高校生の頃
模試か何かで読んだ文章に『化け物の進化』というのがある。
昭和4年に著されたという。
何でも科学で証明しようと高飛車になっている科学者がいるが,
かつては僕らの生業の傍らには化け物がいて,
不気味で怖い感覚を持ち続けていたのではないか。
化け物なぞいないと決めてかかっている科学者にはそれがない。
要するにあらゆる化け物をいかなる程度まで科学で説明しても化け物は決して退散も消滅もしない。 ただ化け物の顔かたちがだんだんにちがったものとなって現われるだけである。<中略> 化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。 宇宙は永久に怪異に満ちている。 あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。 それをひもといてその怪異に戦慄する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。 <寺田寅彦『化け物の進化』より>
青空文庫に載ってる。
● 直接関係ないが
ついでながらインドへんの国語で海亀うみがめを「カチファ」という。 「カッパ」と似ていておもしろい。 <同>
という一節がどこか頭に残ってたのかどうか,7,8年前に買った本は,日本語の語源がどこから来たのかという本だった。
『日本人の源流を求めて』(大野晋・著 岩波文庫)
東大の教授の批判を受けていくつか訂正・削除があったらしいが,
インドのタミル語という言語が,日本と類似しているという説。
僕は好きだけどなあ。
● と
いう経緯で,どこからか民俗学がすごく好きに。
人のあり方というか,自分の価値観の置き所を持っておきたい。その拠り所がどこかにあるのか,と探す。
だから一回一回,
日本人が,とか,
日本人だから,とかいうのは鬱陶しい。
どうもこうも,生まれつき僕は日本人だし,それはそうなんだ。
だから,次に,すぐに,人としてどうあるのか,
どう判断をしていくのか気になる。
で,気が付くと柳田國男が気になっていて,『遠野物語』を読んだのはしかし
青空文庫。iPhone上でだ。
寺田先生もさぞや驚くだろう。
● それで
柳田國男展だ。小田急の電車の中吊り広告にあった。
神奈川近代文学館でやってるという。
折しも仕事が立て込んでて,かなり鬱々としていた頃合い。
2週間ほど,ほんと分刻みで動いてた。くたびれた。
ミーティング・保護者面談・移動・研修・授業・面談・11時から気が付くと夜の11時に。
昼の時間が短かった。
週明け月曜日(休みの日)に行くのを楽しみに,仕事を頑張ったわけだ。
● 話が
長い。
以下,行った時の話。
● 神奈川近代文学館
は,最寄りが元町・中華街駅。歩いて結構かかりそう。なので車で。
すると当たり前だが,駐車場がうまい位置にはない。
(あっても激混みしてそうなロケーションしかない)
一通を逆走しかけたり,いろいろしながら,結局徒歩15分ぐらいの場所に駐車。
そこから歩いて行く。
● 元町公園
銀杏?の香ばしい香り漂う小径を行く。
振り仰げば横浜の町彼方にあり。
右の建物は「元町公園水泳場」突き当りを右に曲がると
更に坂道。
ここは横浜だったよ。
左が外国人墓地。
● それはそうと
ここはどこっけ。
と少し不安に。
そう言えば,駐車場が,目的地まで徒歩15分の距離って。
駐車場まで歩いて帰れるのか・・・。
不安になり,咄嗟にgoogle map(息子曰く「ぐるぐるマップ」)。
oh..
よく分からないデース。
まあ,景色を写メ撮ってるし,最悪,後ろ向きに歩きながら,撮った写メを逆回しにすれば
駐車場までたどり着ける・・・はず・・・だ。
● この坂を登れば
こんな感じ。
ここまでくると横浜というよりは山手だ。なるほど。
● てくてく歩くと
ここが港の見える丘公園駐車場。
たぶん,見てる限りずっと満車。時々車が出て行って,すぐに誰かが入る。
近づいてきた。
どうも神奈川近代文学館は,港の見える丘公園の中にあるということらしい。なるほど。
港が見えてきて
なおも歩くとある。
すぐ右のところがカフェになってる。なんとかカフェ。
この先が入り口。
徒歩15分の所に停めた車の中に,財布を置いてきたことに気づいたのがこの3分後。
徒歩15分て,1往復半すると45分だと知る。
車まで財布取りに戻って汗だくで戻って来て民俗学だか何だか知らんがもう帰っちゃおうかと思った(ウソ)。
● 内容は
柳田國男の生涯を追いながら,オシラサマ(実物)や,遠野のおばあちゃんがすごい訛りで伝承を語る(言葉が分からず),など。
かなりぐっときた。
展示を回ってる客人は年配〜初老(自分?!)が多かった。
まあ月曜の夕方に柳田國男展に来るのはそういう人か塾講師ぐらいなのかも知れない。
財布のタイムロスが痛く,新横浜まで車でお嫁と子どもたちを迎えに行かねばならず,
1時間半ほどでタイムアップ。うぅ。
じっくり全部読んで,ワークショップ(クイズ形式のシートを展示を見ながら埋めていく)を完遂するには
僕だと2,3時間は欲しかったかも。
あと,出口に柳田國男の著作も単行本で結構並んでて,
お金もっと持ってきてたらいくつか買ったかも。