日別アーカイブ: 2008年1月29日, 02時43分

社長に言われ

 本を読んでいる、というのではもはや、
 そういうんじゃなく。

 いや、本て面白いわぁ。

 僕が大好きなこの会社の社風ともいうべき社長曰く、
 丸山はアウトプットが弱い。
 どんどんインプットして、ていうのはさぁ(中略)本読めよ。

「・・はい。」

 いや、読みはじめると、本て面白いやあ。

● ここ1ヶ月で読んだ(でる)本

 読んだ順に。

(1) 7つの習慣
(2) 日本語の源流を求めて
(3) 生物と無生物のあいだ
(4) 竃神と厠神
(5) √2の不思議

● 不思議と交互に

 (1)はビジネス書(?)としても、
 (2)、(4)が文系っぽくて、
 (3)、(5)が理系っぽい感じだ。

 交互に文系理系を買って読んでた。
 それぞれに面白い。

● そのうちに

 それぞれの感想文を書こうとしてたらもう5冊目だ。
 読む速度に自信なかったが、気がつくと結構読んでる。

● 『7つの習慣』

 うちの会社でも推し進めてる。実際ためになる。

 成功する人にはだいたい7つの習慣がある、という感じ。
 詳しくは、

http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%BF%92%E6%85%A3

 wikipediaによく載ってるやあ。

 しかし第1の習慣「主体性を発揮する」てのは1年ちょい前ぐらいに
 日経の「私の履歴書」で味の素の偉い人が引用してた

「随所に主となれば、 立つところ皆真なり。 (臨済禅師:?〜866年)」

 に通じる気がする。
 主体性を発揮することで、自身の心身ともに真となる。
 1200年ちかく前に、既に言われてたことなのかも知れない。

 うむー。

● 一番印象的なのは

 会社の7H(7つの習慣)の研修でも伺ったが、
 世界大戦中に、ドイツの収容所でユダヤ人の心理学者が経験した話だ。

 そこで心理学者は筆舌に尽くし難い、苦痛や侮辱を受けた。
 身体の自由は全て、ナチス軍兵士が掌握していた。

 しかし、そこで彼はひとつの事に気づいたという。

● 何人も、私の許可無くして、私を「傷つける」ことはできない

 つまり、自分が「負けました、好きにして下さい、いや、嫌です。助けてぇ〜」
 と言わない限り、
 ナチス軍の兵士とて、自分を真の意味で「傷つける」ことなど不可能だという。

 このことは、

「刺激」と「反応」の間には空間がある。

 と表現されていた。
 パブロフの犬は犬だから「刺激(ベル)」と「反応(垂涎)」の間に狭間が無い。

 ベル=よだれだ。

 しかし、人間には「刺激」と「反応」の間に選択の余地がある。

 なるほど。。
 これが理性を発揮することなのかも知れない。

● 「刺激」と「反応」の間に選択の余地がある

 と考えるだけで、日常の雑事の中で、
 今までよく取り乱していた精神は、いくぶんか平静を保てる。

 そういう意味で、よりよく生きる指針を示してくれる本だった。

● それ以外にも

 7つの習慣、というビジネスモデルにまでもってってるのが
 すごい。
 7つの習慣の手帳、だとか、企業研修だとか、コンサルティング事業だとかなんだとか。

 まさにWinWin三昧だ。

 あと、「7つ」にしてるのが、全米大ヒッツの策略なのかなぁとか邪推。
 日本に輸入するときには「八つの習慣」なら文化に即してたかも。

 日本は、同じく蒙古斑を持つポリネシア諸島の人々と同様
 古来「八」という数字を好んで使う人種だった、、
 というのは(2)の『日本語の源流を求めて』による。

 いや、「7」って日本でも特別な意味があるんだ、というのは
 (4)の『竃神と厠神』で知ることになる。

 わけだが。

● 『日本語の源流を求めて』

 日本語には、英語とドイツ語のような関係(daughter←→Tochter)の言語がない。

 韓国語にある、とよく言われてたが、どうやらない。とのこと。

 中国語と似てるのは、日本で漢字(音読み)を中国から輸入してるから当り前で、
 韓国語で会社を「ワイシャ」と読んでて日本語と似てるのはそういう意味なだけだ。
 というのは
 うすうす感じてたが、じゃあ、一体日本語(や文化)の源流はどこにあるのか。

 著者の大野晋さんはもう80を越えるおじいさんだ。

 万葉集の注釈や、広辞苑の第1版の、そういう部類の執筆をなされた方だそうで、
 日本語や古来の文化読み書きに精通されてるとのこと。

● インド人も

 クリビツだ。

 日本語のかなりの底流を同じくしている言語が、インド南部にあったという話だ。
 それが「タミル語」だ。

 一例をあげると、、

● 日本では1月15日の小正月に

 「どんどん焼き」というのをやる。

 地方によっては「ドンド焼き」とか言うそうだ。
 山梨では「どんどん焼き」だった。

 紅白の餅や、書初めなんかを焼く。

● すると

 タミル語にも「トンド」てのがあって、それは「古いもの、去年のもの」
 という意味らしく、
 タミルでも、旧正月の1月15日に、1月14日までの古いものを
 去年のもの、として焼き払う「トンド焼き」てのがあったり。

 田んぼの「あぜ」や「田んぼ」自体や、さまざまな色や、
 もの、「もの」という言葉や意味(「物」も「者」も)自体が、
 タミル語と一致するとか、けっこうすげぇ。

● ほかにも

 色々、書きたくなってきたが、
 時間が時間なので、今日はここまで。

 いずれ、読書をもとに1冊1更新できればなぁ・・・。