本を読んでいる、というのではもはや、
そういうんじゃなく。
いや、本て面白いわぁ。
僕が大好きなこの会社の社風ともいうべき社長曰く、
丸山はアウトプットが弱い。
どんどんインプットして、ていうのはさぁ(中略)本読めよ。
「・・はい。」
いや、読みはじめると、本て面白いやあ。
● ここ1ヶ月で読んだ(でる)本
読んだ順に。
(1) 7つの習慣
(2) 日本語の源流を求めて
(3) 生物と無生物のあいだ
(4) 竃神と厠神
(5) √2の不思議
● 不思議と交互に
(1)はビジネス書(?)としても、
(2)、(4)が文系っぽくて、
(3)、(5)が理系っぽい感じだ。
交互に文系理系を買って読んでた。
それぞれに面白い。
● そのうちに
それぞれの感想文を書こうとしてたらもう5冊目だ。
読む速度に自信なかったが、気がつくと結構読んでる。
● 『7つの習慣』
うちの会社でも推し進めてる。実際ためになる。
成功する人にはだいたい7つの習慣がある、という感じ。
詳しくは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/7%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%BF%92%E6%85%A3
wikipediaによく載ってるやあ。
しかし第1の習慣「主体性を発揮する」てのは1年ちょい前ぐらいに
日経の「私の履歴書」で味の素の偉い人が引用してた
「随所に主となれば、 立つところ皆真なり。 (臨済禅師:?〜866年)」
に通じる気がする。
主体性を発揮することで、自身の心身ともに真となる。
1200年ちかく前に、既に言われてたことなのかも知れない。
うむー。
● 一番印象的なのは
会社の7H(7つの習慣)の研修でも伺ったが、
世界大戦中に、ドイツの収容所でユダヤ人の心理学者が経験した話だ。
そこで心理学者は筆舌に尽くし難い、苦痛や侮辱を受けた。
身体の自由は全て、ナチス軍兵士が掌握していた。
しかし、そこで彼はひとつの事に気づいたという。
● 何人も、私の許可無くして、私を「傷つける」ことはできない
つまり、自分が「負けました、好きにして下さい、いや、嫌です。助けてぇ〜」
と言わない限り、
ナチス軍の兵士とて、自分を真の意味で「傷つける」ことなど不可能だという。
このことは、
「刺激」と「反応」の間には空間がある。
と表現されていた。
パブロフの犬は犬だから「刺激(ベル)」と「反応(垂涎)」の間に狭間が無い。
ベル=よだれだ。
しかし、人間には「刺激」と「反応」の間に選択の余地がある。
なるほど。。
これが理性を発揮することなのかも知れない。
● 「刺激」と「反応」の間に選択の余地がある
と考えるだけで、日常の雑事の中で、
今までよく取り乱していた精神は、いくぶんか平静を保てる。
そういう意味で、よりよく生きる指針を示してくれる本だった。
● それ以外にも
7つの習慣、というビジネスモデルにまでもってってるのが
すごい。
7つの習慣の手帳、だとか、企業研修だとか、コンサルティング事業だとかなんだとか。
まさにWinWin三昧だ。
あと、「7つ」にしてるのが、全米大ヒッツの策略なのかなぁとか邪推。
日本に輸入するときには「八つの習慣」なら文化に即してたかも。
日本は、同じく蒙古斑を持つポリネシア諸島の人々と同様
古来「八」という数字を好んで使う人種だった、、
というのは(2)の『日本語の源流を求めて』による。
いや、「7」って日本でも特別な意味があるんだ、というのは
(4)の『竃神と厠神』で知ることになる。
わけだが。
● 『日本語の源流を求めて』
日本語には、英語とドイツ語のような関係(daughter←→Tochter)の言語がない。
韓国語にある、とよく言われてたが、どうやらない。とのこと。
中国語と似てるのは、日本で漢字(音読み)を中国から輸入してるから当り前で、
韓国語で会社を「ワイシャ」と読んでて日本語と似てるのはそういう意味なだけだ。
というのは
うすうす感じてたが、じゃあ、一体日本語(や文化)の源流はどこにあるのか。
著者の大野晋さんはもう80を越えるおじいさんだ。
万葉集の注釈や、広辞苑の第1版の、そういう部類の執筆をなされた方だそうで、
日本語や古来の文化読み書きに精通されてるとのこと。
● インド人も
クリビツだ。
日本語のかなりの底流を同じくしている言語が、インド南部にあったという話だ。
それが「タミル語」だ。
一例をあげると、、
● 日本では1月15日の小正月に
「どんどん焼き」というのをやる。
地方によっては「ドンド焼き」とか言うそうだ。
山梨では「どんどん焼き」だった。
紅白の餅や、書初めなんかを焼く。
● すると
タミル語にも「トンド」てのがあって、それは「古いもの、去年のもの」
という意味らしく、
タミルでも、旧正月の1月15日に、1月14日までの古いものを
去年のもの、として焼き払う「トンド焼き」てのがあったり。
田んぼの「あぜ」や「田んぼ」自体や、さまざまな色や、
もの、「もの」という言葉や意味(「物」も「者」も)自体が、
タミル語と一致するとか、けっこうすげぇ。
● ほかにも
色々、書きたくなってきたが、
時間が時間なので、今日はここまで。
いずれ、読書をもとに1冊1更新できればなぁ・・・。