このあいだ、久しぶりに夫婦でテレビを見ていると
NHKスペシャルをやってる。
● いや、正確には
このあいだ、久しぶりに夫婦で横に座り
妻はノートPCで脱出ゲームを
夫は安酒を
煽りながらテレビを付けっ放しにしていると。
細かいが。
● 湯川博士の話をしている
ノーベル物理学賞を受賞した博士は
同じく受賞者のアインシュタインとも交友があり、
生涯、
一貫して
核の問題について発信し続けたという。
アインシュタインはその研究により、
皮肉にも
原子爆弾の理論を確立?したことになるらしい。
そして、番組は湯川博士の人生について迫る。
● 博士によるとこうだ
人類と核とは、一切、共存し得ない。
人類が核とともに生きることはできない、ということなのだ。
大東亜戦争を知り、
原子爆弾を肌身で見、
生きた人の
全世界に向けた、ラストメッセージというわけだ。
● 前も書いたが
最近、とくに北朝鮮の話が前よりよく出る安倍政権。
しかしちょっと切れ気味だ。
いや、あの国のしたことを考えれば、この国の人間として
切れるのは分かるし、
僕だって釈然とは全くしないわけだが、
ちょっと雰囲気が怪しい気がする。
そういえばこないだ中2の生徒が
「俺、国語難しいからノーベル賞ヤバいっすか。
理科だと物理賞っすよね、俺無理っすから。
医学なんとかもあるんスよね、知ってるんスよ。
どれも無理そうっスけど、
平和賞ぐらいなら何とか取れまスかね。俺。」
と言っていた。
● 核について
結論は出ている、と思った。
湯川博士の言葉だ。
人類と核とは共存し得ない。
● こないだ
国会かどこかで、
核に関する議論は必要だが、非核三原則は大事だ。
みたいなことを言ってたらしい。
しかし。
議論の余地無し。
というのが、
戦争を経験し、原爆によって身体の溶け出した人々の悶絶を見た
一人の科学者の生涯貫いた主張ではなかったのか。
ていうか。
安倍さん、NHK見てんのか。
● 色々な持論
聞いてもないのに「日経をとってる」という人が好かない。
ははぁ。
と思うわけだ。
高校のときそんな人がいた。彼目は泳いでる。
「まぁ、うちは日経、とってるからさ。ニッ・ケ・イとっ・て・ん・だ。日経」
だいたひかる風に言うとどうでもいいのだ。
当時の僕が考えに考え抜いて返した言葉は
滝に打たれれば悟りが開けるわけでもあるまい、ということだ。
● それとともに、もう一つの持論は
相撲をとるには、同じ土俵にあがらねばならない。
ということだ。
核の議論をするなら、北朝鮮と同じ土俵にあがるということなのか。
なんても思う。
もう命令書だかなんだかで、
NHKの女性キャスターに十二単でも着させて
大和言葉満載で、北批判でもすればいいホソカワタカシ〜♪
● なにしろ
僕も戦争を、ほとんど全て知らない。almost all だ。
安倍さんも初の戦後派?だというので、
少し気になる。
僕が、僕に、というか僕が今まで生きてた中で
僕に伝えられた戦争とは。
● 日経とってんだぜ
というわけで、僕もいつからか日経をとるような人間になりました。
いい意味でも悪い意味でも。
で、日経新聞には、文化面というのがあって、
そこに「私の履歴書」というコーナーがある。
この「私の履歴書」、
世の大先輩がたが、ご自分の半生について書かれている。
半生というか、だいたいが7,80年分なので、半生が正しいとすると
先輩方はあと7,80年ぐらい生きることになるのだが。
● その「私の履歴書」で
多いのが、戦争の話だ。
味の素の江頭会長がいま連載されている話でもやはり
幼少時の
生々しい戦争と、人(々)の死について書かれていた。
そうして、はだしのゲンから始まって、
「私の履歴書」やさだまさしさんの歌(『広島の空』とか)や、
僕の想像などから。
● 戦争は
人殺しなのだなあとつくづく思う。
どの国も許していない罪。
先制攻撃で始まり、人が人を殺す。
苦しい、悲しい、さみしい、あらゆるネガティブな感情を生み出す。
● もしも僕が戦争をしていて
銃を持ち、
構え、
その先にいる「敵兵」の、
その後ろに
その人を大事に思う人の影が見えたら引き金を果して引けるだろうか人間として。
その人が大事に思う人々の息づかいが見えたら、僕はその人を殺せるだろうか。
彼が戦争という理由で、僕を殺そうとしていて、
彼も僕も引き金に手をのせていて、
僕は嫁さんや、嫁さんが大事に思う人々、僕の大事な人達、
どちらかがどちらかを殺さねば、片方が必ず銃弾を受け死ぬ。
僕は相手を殺せるだろうか。
● これらの想像は土俵を
同じくする、という覚悟がなければできない。
そして、自分に優しい気持ちがなければ、
想像することに意味がない。
実は嫁さんと喧嘩をした。
いつもは仕事帰りに電話をする。
今日、今夜、電話をして
また、昨日のように出てくれなかったら
僕は二度と電話をすまいと電話した。
彼女は出てくれて、
仕事を労ってくれた。
そして、途中のコンビニのレジで僕は
優しい気持ちになっていた。
僕の優しい気持ちは全て
嫁さんからもらっていると
自覚し、感謝した。
● この気持ちを
一片々たくさん集めて
それをつなげられれば、
納得ずくで幸せな死を迎えられるのかも知れない。
だから今は極めて平和を願うのだ。